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萩焼・自分で「育てる」器の楽しさ

400年の伝統を誇る萩焼は、山口県が誇る伝統工芸品。根強い愛好家の方も多い焼物です。柔らかくふっくらとした質感、使うほどに「侘び」の味わいが深くなる「萩の七化け」は、萩焼独特の魅力。気品や風格も漂わせるだけでなく、若い作家さんにより現代的な感覚で個性豊かな器も作られています。進化を続ける「萩焼」についてみていきましょう。

萩焼とは?

 

山口県萩市を中心に作られる陶器「萩焼」。江戸時代に周防・長門の二国を領有する毛利氏の御用窯として発展した萩焼は、茶の湯で使うための道具として発展しました。

 

「一楽二萩三唐津」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。抹茶椀の「格」の高さを表す言葉です。一番格の高い茶碗が「楽焼」。これは、茶道の世界を完成させた千利休が創案した茶道用の焼物です。そしてその次が「萩焼」、三番目が「唐津焼」という順番を示しています。

 

萩焼は、土の風合いを生かした形や色を「そのまま」味わう素朴さが魅力です。土味、素地の景色、釉薬など、古い朝鮮茶碗のかたちを多く残しています。そのため、絵付けなどの装飾もほとんど行われません。見た目があっさりしているので「格が上」と言われてもピンと来ないかもしれませんが、お茶会では、基本的に無地の抹茶碗の方が格が高いのです。

 

萩焼が素晴らしいのは、その見た目だけではありません。萩焼は、器が柔らかく空気を含みふわっとしています。保水性・保温性が高いのです。お茶をはじかないため、お茶を点てやすく、萩焼とほかの器では、お茶の味が変わるともいわれています。また、手にした時の感触や口あたりも良く、お茶を引き立てる器なのです。実用面にも優れ、質の高い陶器だからこそ、時代を経て多くの人たちに愛されています。

 

萩焼の歴史

萩焼の歴史は、1592年豊臣秀吉の朝鮮出兵に遡ります。

のちに萩の藩主となる毛利輝元は、豊臣秀吉から茶の湯に親しむことを許され、千利休とも交流を持つ大名でした。千利休が茶の湯において珍重したのは高麗茶碗。朝鮮半島で焼かれた日常雑器を茶器として見立てたものです。

 

そこで、朝鮮に出陣した西国大名たちは、自分たちで焼物を作るために陶工たちを日本に連れ帰りました。このとき日本に来た陶工たちによって、有田焼や小石原焼が生まれるきっかけとなります。

 

毛利輝元は、朝鮮から陶工・李勺光(後の坂倉家)と弟の李敬(後の坂家)を招きました。その後、関ヶ原の戦いに破れ、萩に居城を移した際に2人も萩に移り、城下の松本村に藩の御用窯を開いたのが萩焼の始まりです。

その後、1657年に李敬の息子である蔵崎五郎左衛門は、深川三ノ瀬に移り、「三ノ瀬焼物所」を開きます。こうして兄弟は「松本焼」、「深川焼(三之瀬焼)」とそれぞれ別々の焼物を生み出すことになるのです。



当初は、高麗茶碗に似た茶碗が主に焼かれていました。江戸時代を通じて、茶道具だけでなく煎茶具や細工物など多様な器種を生産するようになります。実は「萩焼」と呼ばれるようになったのは明治時代からのことなのです。

 

明治維新の変革により、藩の御用窯という後ろ盾をなくした萩焼は、苦境に立たされます。

西洋化する社会では、多くの窯元が消失していきました。

転機は明治時代後期~大正時代です。「茶の湯」の再評価が起こたところに、中興の祖と呼ばれる深川焼の十二代坂倉新兵衛が表千家に入門して、萩焼のブランディングに成功するのです。「一楽二萩三唐津」の呼び名はこの時代に生まれました。

 

戦後の高度経済成長期になると、さらに茶道は流行し、萩焼の需要も高まったことで、窯元も息を吹き返します。そんな中、坂倉新兵衛と松本焼の三輪休和(十代休雪)が1970年に無形文化財指定を受けます。さらに、三輪休和(十代休雪)と弟の三輪壽雪(十一代三輪休雪)はともに人間国宝に認定。

 

現在は市内界隈には新規を含め、多数の窯元が存在し、食器だけでなく、花器や小物、アクセサリーなど多くの種類の焼き物が作られています。

 

萩焼の特徴

 

萩焼の特徴を見ていきましょう。萩焼の特徴は大きく分けて3つあります。

色が変わる「萩の七化け」

 

萩焼は、長く使っていると器にお茶がしみこみ、色が変わります。

これが「萩の七化け」です。

 

萩焼は、大道土(だいどうつち)と見島土(みしまつち)、そして金峯土(みたけつち)という3つの土を混合して作ります。これらの土の配合により、吸水性の高い柔らかな器が生まれるのです。

 

また、萩焼の表面を見ると、細かなヒビが入っています。これは不良品などではなく「貫入」という萩焼独特のヒビです。焼きあがる際に、土と釉薬の収縮率の違いにより、表面に細かなひびが生まれるのです。

 

吸水性の高い器に入った細かなヒビ。お茶を注ぐとヒビに茶渋などが浸透して色が変わるのです。そのため、萩焼を使用する前は水に浸け、充分に水を吸わせておきます。使用後は、よく乾燥させることが必要です。

 

手間がかかるかもしれませんが、萩焼の半分以上は、使う人が作るといわれています。

使い込んで色が変わり、それがなんとも言えない侘びた味わいを醸し出す。その時はじめて萩焼は完成するのです。そのため、萩焼は「使う」よりも「育てる」ともいわれます。

 

シンプルで素朴なデザイン

 

萩焼は、絵付けなどの装飾をほとんどしません。

土の風合い・色味を引き出すために、透明もしくは白い釉薬をかけて焼き上げます。

焼く時の窯の火のあたり具合によっても、偶然に面白味のある味わいが生まれることもあります。

色味も、大道土の色を生かしたペールオレンジや枇杷色、見島土の色を生かした褐色や灰青色、藁灰釉による白色など限られた色が主流です。登り窯で焼いたときに「窯変」(ようへん)と呼ばれる薄ピンクの色合いが出ることもあります。

 

造形のデザインとしては、茶道具をはじめ日常食器や小物までいろいろなものがあります。マグカップやお皿、お茶碗や湯呑みなど、日常的に使う食器類はほぼ揃えることが可能です。

 

高台が特徴的「切り高台」

 

萩焼の特徴として、高台の一部が切り取られた「切り高台」のものが多いことがあげられます。そのため、萩焼=切り高台と思っている方が多いようです。

 

しかし、切り高台は萩焼独自の特徴でもなく、すべての萩焼が必ずしも切り高台というわけではありません。萩焼の特徴は、あくまで土と釉薬から生み出される独自の風合いにあります。

 

なぜ、高台に切り込みを入れるようになったかについてはいくつかの説があります。

有名なのは「御用窯であった萩焼を庶民が使うことは許すために、高台に切り込みを入れた(キズモノにした)」というものです。

ほかにも「水が浸透するので、高台部分に切り込みを入れて空気を抜き、蒸気が高台部分にこもるのを防ぐ」「焼くときに高台まで火が通りやすくするため」「伝わった高麗茶碗のデザインが切り高台だった」などの説があります。

 

多くの萩焼では切り高台のデザインを採用していますが、他にも平たい高台に十文字や三ツ矢・桜などの削りを入れた「割り高台」や、内側に削りこんだ「碁笥底(ごけぞこ)」など、高台のバリエーションも実はいろいろあるのです。

萩焼はどこで買える?

萩焼が欲しい!そんな時はどこで買えばよいのでしょうか?萩焼が買えるところを集めてみました。

萩焼の窯元巡り

 

萩焼を買いたい!そんなあなたは、萩市を訪れるのが一番。萩市では窯元にギャラリーを併設しているところや、セレクトショップもあるので「自分だけのうつわ」を探すのにおすすめ。窯元の一覧は「萩市観光協会公式サイト」にて。

https://www.hagishi.com/hagiyaki_omiyage/

こちらの「萩焼まつりサイト」には、萩焼の窯元マップもあります。

https://hagicci.or.jp/hagiyakimaturi/index.html

一緒に世界遺産登録もされた「萩城下町」を楽しんでみては。

https://www.city.hagi.lg.jp/site/sekaiisan/h6080.html

 

オンラインショップ

全国的に人気の高い萩焼は、うつわを販売するオンラインショップでも数多く扱われています。toracie(トラシー)では、萩まで出向き「これだ!」と思った器をセレクトして買い付け。伝統的な意匠から、作家さんの個性あふれる可愛い器まで、あなたの「欲しい萩焼」をぜひ探してみてくださいね。


萩焼の陶器市

 

萩では毎年、市内の萩焼窯元や卸小売業者を集め「萩焼まつり」が開催されます。期間は。ゴールデンウィークの5月1日~5月5日の5日間。

2021年は新型コロナウイルス感染症の影響で、現地での開催は見合わされましたが、オンラインで開催。陶器市の情報は「萩焼まつり」のサイトをチェックしてくださいね。

 

https://hagicci.or.jp/hagiyakimaturi/index.html 



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